SSブログ

#9  ひとつの分岐・・・ [ゲーム]

近、久々に初代『かまいたちの夜』をやっている。SFC版もそうだし、PS版も。
  僕は、この“サウンドノベル”というジャンルがとても好きで純正(チュンソフト製)のものはSFC『弟切草』からPS版の『街』までの5作(PS2以降の続編や新作は諸々の理由で、やれていない)。他社製(厳密に言えば商標の関係で、こちらは『サウンドノベル』ではないが)でもGBC版(もとはSFC版)の『夜光虫』と、その続編のN64版。PS版の初代『夜想曲』。そして、いまは発売困難であろう『サウンドノベル・ツクール』も2作どちらともプレイしている。ちなみに僕は学生時代からのツクラーで、この『RPGツクール』よりもサウンドノベルの方をPC版で出して欲しいなと思っている。実際エンターブレインへ要望の電話をしたこともあったが、それは未だに実現していない。やはりタイトル変える(サウンドノベルの名称を使わない)程度の変更では不可、な難しい話なのだろうか?  せめて、それならチュンソフトがライセンスを販売するとか――或いは同社が公式にツクール的なソフトを出すとか、若しくは合作でオフィシャルなツクールを発売するとか。
  いつも何らかの方法がないものか、と思ってしまう。

  それはさておき、この『かまいたちの夜』は自分の初サウンドノベルなだけあって非常に印象が深い1作。
  小学校の頃から本を読むのは好きだったが、このゲームに触れたことで「小説は、こういう感じ」というのがリアルに感じられ……より好きになった、というのは確か。そういった体験が、やがて「自分も、こういう物語を書いてゆきたい」と考えるようになり、それはいま自分の大きな心の支えになっている。正に“我が師”であり“命の恩人”でもある『創作道』の同門で、その兄(あに)さま的存在の作品です。
  ちなみに、この中の好きなシナリオは“スパイ編”。このパートに登場する“かまいたち”は、伝説のスパイの暗号名というフィクション設定ですが内容は面白い反面とても実際に危機感を覚えるところも多々ありました。例えば「日本がスパイ天国である」点など。これに関しては以前、相棒というドラマ(サザンカの話)でも描かれていましたよね。
  僕は正直、日本にスパイを取り締まる法が殆どない……というのは良いことだと思っています。
  世界的に見れば、そういう国は確かに少ないし日本をオカシイと感じる人間は多いかもしれません。それに、いまのような世界情勢でかつ武力を奪われ周囲が敵ばかりの現在では更に変わってゆかねばならない部分も多いのかもしれませんが。でも言わばスパイ行為とは他者の領域へ入り込み、いろいろと探る――簡単に言えば『情報泥棒』です。戦争だ何だ、あらゆる場面で人間の歴史には己の行いを正当化する“開き直り”が数え切れない程ある。
  ところが日本は国として、そうしたことを取り締まっていない。それは、そういう陰湿な行いを何とも思わずにやる歴史の浅いオコチャマ国家とは格が違うということを示している……そんな気がしますね。実際、僕も陰でコソコソするとか勝つためなら何でもする、みたいな行いも。また、そういうことを平気でする人間も嫌いです。ヒトとしてどう、とか以前に生き物として恥ずかしく思う。そもそも、この近代~現代に於ける人間の争いは、とても醜いものだと感じる(原始時代~中世あたりや或いは日本のスパイともいえる『忍者』などは、さまざまな点で誇り高く勇ましかったと思うが)。
 スパイみたいな情けない真似をしてまで勝利にしがみ付きたいとは思わない。醜い人間が醜い自己主張で醜い争いを繰り返したいならば勝手にやっていれば、と思う。結局は犯した罪などは自分のもとに返ってくるだけだろうし。日本は、さまざまな点で見ても、ちゃんと国際的なルールを遵守していると思う。掟のオの字も知らない輩が、身勝手に日本などへ責任を押し付けているだけだろう(無論、本来の務めを果たさなかった日本の政治家なども同罪だが)。無論そんなことをしても己が犯した罪は自身が償う以外、逃れる方法はない。尤も、そういう人間が……そうしたことを理解できるとは思えないが。
  兎に角、時分がこの腐敗した人間社会で頑張って生きようと思うのは地球の美しき自然や日本の民である誇り、そして表現する喜びがあるから。そうした愛すべきものが、ある意味――僕のすべて、と言ってもいい。

  そういえば。今回書きたかったのはタイトルの『分岐』についてのことだったw。
  話が逸れたので戻すと、PS版『かまいたち』にはフローチャート機能が追加された。そこには、どの選択を選んだかなども表示されている。この記事を書こうと思ったのは、その画面で――ふと、あることを感じたからだった。それは夕食後ナイターへ行くかの選択肢、Aを選ぶと『雪の迷路編』というBADストーリーへ続いてしまう。でも、そこでBを選ぶことで事件に巻き込まれるが救いのあるエンディングも含むシナリオへ続く。そこで思ったのだ。
 「人生も、こんな風に要所要所にある分岐の選択で大きくその後が変わっちゃうのかもな」と。
  また、この『かまいたち』では進み具合で“選べない選択肢”もある。実際の人生でも、成長によっては「行けた道が塞がり、時間と共に流されてしまう」ということも多々あったりして?  考えてみると『街』では難易度選択ができ、EASYを選ぶと選択肢が減ってクリアしやすい(反面、完全クリアも不可になるが)という設計だったな。
  ……そう考えてみると、自分たちは『人生』というVERY HARDな道を歩んでいるのかもしれない。
nice!(0) 
共通テーマ:ゲーム

nice! 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。