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#15  クレバーな演出・・・ [映画]


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当は#14で纏めて書こうと思ったが、思った以上に頭の中で纏まらないので分割する形に。
 でも一寸間を置いて見ると落ち着いて物事を考えることができる、というのは本当なんだな。前の記事で占い結果が“モチベーション下がる”と言っていたけど、逆に言えば「成程、肩の力を抜いて自然体で過ごせばいいんだな」と思えばポジティブにもなれる。

 こういう、ちょっとした考えの変え方次第で生きる道が楽にも苦しくもなるのかもなー。

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 さて今回は映画(+映画音楽)の話を。
 以前、久石 譲さんは「クレバー(賢い、などの意)な音楽の使い方である」として著書『感動をつくれますか?』の中で黒澤 明さんの『野良犬』を挙げていた。Wikipediaの この作品のページ にある“見どころ”の項目でも次のように紹介されている。以下、引用。
『(刑事の)村上と(殺人犯の)遊佐の(激しい取っ組み合いをする)クライマックスシーンで、何も知らない裕福な主婦が弾く穏やかで平和なピアノのメロディと幼稚園児たちが同一場面に描かれる。堕落や狂気と日常的な平穏、無垢さと犯人の断末魔とが同一画面の中に存在するという黒澤監督ならではの対位法と呼ばれる演出を用いた最初の作品である。』
 久石さんは、この場面について「刑事と殺人犯は、どちらも戦争の犠牲者であり二人の立場は紙一重。そこに流れるピアノの練習曲。当時ピアノを持っている家なんてかなりブルジョア(金持ち)なこと。それぞれの人間模様を描いた演出が見事」といった話をしていた。僕も、後にこの映画のDVDをレンタルして観たのですが……いまとは、さまざまな意味で違う作品と内容の雰囲気を掴むのに意識が行ってしまい、あまりその見事さを実感できませんでした。まだまだ自分は“サビ抜き”レベルということですかね。
 でも昔の時代や当時の映画のパワーというか、そうしたものはとても強く感じた気がします。
 そういえば脚本家の首藤 剛志氏は生前コラムで「いまの映画は昔の映画の焼き直しのようなもの。昔の映画を観ることで得られるものは、最近の映画を観るよりも多いのでは」と書いていた。僕も、そういう何かキッカケがなければチェックしてみようとか思わなかったかもしれない。

 そう考えると、こうして世界を広げる要素を与えてくれたすべては、まるで“御導き”のようにも思える。本当に有難いことだな、と感じるし無駄にはしたくないと思う。
 創作に限らず、生きることのさまざまな部分へ活かしてゆきたい。

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 ちなみに何故、冒頭でクレしん映画の『ヘンダーランド』編を載せていたかというと。僕なりに映画音楽に関して“クレバーな演出だな”と思ったシーンが、この作品にあったからです。それは中盤、しんのすけとトッペマに溝ができている辺り。
 みんないつもと変わらない生活をしているが、その場面ではオルゴール調のトッペマのテーマ(?)が哀しげな雰囲気で流れている。あの時だけは日常の裏に、普段と違うしんのすけの迷いや悩みなどが表れている……そんな気がしました。映画によっては天気を悪くする、とか描き方で見せることもできるんでしょうけど、やはり“クレしん“には似合わないですよね。 そういう意味でも、あの音楽が必須の形で何となく匂わせるような雰囲気は“クレバー”だと感じるし好きな演出ですねー。

 久石さんが例にした黒澤さんの映画とは意味などが全然違うでしょうが、まあそこは“サビ入り”の旨さが解らぬ者の感じ方ということで。でも、やっぱり自分なりの方法・歩幅で歩んでゆくことは長く歩くコツなのかも?
 ちなみに一応付け加えておくと、僕は寿司を食う時は「山葵ないなんて有り得ない」と思う派ですよw。
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